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6章 「虚空蔵宇宙空間」 |
by 空海 |
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「ノウボウ アキャシイ ギラバヤ オンマリキャ マリボリソワカ」
これは「虚空蔵菩薩」という仏の真言であります。
私、空海は、この「虚空蔵菩薩」という仏に意識を合わせ、
宇宙の深層の真理と申しますか、本質を気づかんとするために、
一心不乱にこの真言を唱えたのです。
そしてあるとき、私はその真言の中に、虚空蔵そのもの、
宇宙にある虚空という本質を、自分の中に持ち合わせたことがあります。
この虚空蔵という本質、それは宇宙すべての法則、また、「虚空の蔵」と
書きますように、宇宙の情報を蔵する、源泉であるということなのです。
つまり、アカシックレコードそのものを指します。
このアカシックレコードを、あなた方に解き明かそうと思っております。
第二巻目に、この虚空蔵が、テクノトロンと同質のものであるということを
お話されましたが、その通りでございます。
宇宙的なレベルにおいては、テクノトロンでありますけれども、
仏教用語では「虚空蔵」と申します。
しかしその「虚空蔵」というものは、掴みにくいものであるために、
「菩薩」、仏の名前をつけた、ただそれだけなのであります。
これを方便と申します。
人々にわかりやすいようにそうしたということです。
人は実態を掴みにくいものを何か形で表すこと、
それも仏像という、形で表したほうが、
非常にあなた方の意識に共鳴するようになっております。
それゆえに仏という形をとってきたのです。
しかし、あなた方がこの虚空蔵という仏を意識したとき、
アカシックレコードに繋がるルートが出来上がるようになっているのです。
真言を唱えても同じなのであります。
ただ真言を唱えるときにおいて、この、「虚空蔵菩薩」と一体となるためには、
あなた方が言葉にとらわれてはいけないのです。
それは、五感という人間の体の感覚に支配されている以上、
「空」の領域には到達できないからなのです。
「空」の領域というのは、あなた方の肉体感覚を超えた、
すべてを超越した「無の空間」にあります。
あなたの意識があっても、行けないのです。
人はか弱きものです。あなた方は生まれながらにして、
五つの苦しみ「五苦」というものを備えています。
もともと五感から生まれたものであるから「五苦」というのですが、
一般的には「四苦」といわれております。
四苦とは生・老・病・死の苦しみをいうのです。
生まれるときにあなた方は、お母さんの胎内をくぐるときに、
あらゆる苦しみを体験しているのです。生まれるときの苦しみです。
その生まれるときの苦しみを、生苦と申します。
その生苦の苦しみは、産道をくぐるときにすべて生じているのです。
その中に、あなたの人生の縮図のすべてが、培われてしまうのです。
つまり体を持つ上での、これから生きてゆくうえでの、
あらゆる苦難に耐えるために、そのような苦を与えているのですけれども。
このときに、両親のカルマも引き継いでしまいます。
ところが、人はそう捉えなくて、すべてを苦の原因にしてしまっているのです。
生まれるときの苦しみは、トラウマであるという
原罪意識を生んでしまったのです。
苦は楽の種、二極性のものであります。
第2に「病」、これも肉体を持つが故の苦しみでしょう。
病を持つことはつらいもの。人と同じ生活を出来ないという、
病を持つハンディキャップ、そのときにあなた方は、
あなたと人との分離感を生じてしまうのです。
何か隔離された物寂しさ、悲しみ、寂寥感、そのような感情が
トラウマの原因を作ってしまうのです。そしてそれが魂の癖になってゆくのです。
第3に「老」。老いてゆく苦しみ。これも循環の法則という、
物質循環に支配される以上は、あなた方も老いてゆくのです。
それは、この地球上で生きとし生けるものすべてが、
その法則に従わざるを得ないのです。それを、苦しみと感じるのは、
この世に生を持ち、生を持ちつつ巷のものに執着し、
それらがすべてであると思ってしまう、その固定概念によるものなのです。
本当は、肉体を持つという執着が無くなったとき、
あなたの意識はもっと自由になるのです。
けれどもそのことに気づけない。だからこそ
「それを超えよ、その苦しみを超えよ」とブッタは説いたのです。
そして最後に「死」の苦しみ。
死ぬことはやはりつらいことかもしれません。その死という概念においても、
あなた方は今の肉体を留めたい、魂も留めたいという、
ひとつの執着、そこから生じているのでございます。
さて本質の「空」の空間、
そこにはあなたたちの魂の帰るところがあります。
セイクレッド・スターの、遥か遥か彼方のところに、
あなた方の帰るところがあります。ところが人はそれを忘れ、
今の肉体の存在に執着してしまう、
だからこそ「死」が怖くなってしまうのです。
本当は怖いものでもないということを、知ってほしいのです。
この「空」に至るのには、基本的には自己の完全死に直面する必要があります。
自己に執着する限り至ることはできないのです。
このように、仏教では、「四苦」というふうに、
すべてが苦のように捉えておられますけれども、
反対の見方をすれば「四楽」でもあるのです。
この二極の局面において、いかにして真理を悟るか。
本質を悟ることは、「苦」の反対極には「楽」もある、ということを
知ってほしいからです。
この二つの局面を、本当にあなた方が心の中で理解し、実行してゆけること、
実際の生活に生かしてゆけること。
そうなったときにあなた方は、皆、苦しみから超えられるのです。
いかなる苦しみも、実は幻であることに気づくのです。
そして生きながらにして、あなた方は四苦を越えて
「空」の意識を持つことが出来るのです。
そこはあなたの魂が帰るところ。
生きながら魂の故郷に戻っているのです。
それが悟りを持った生き方なのです。
簡単ではありますけれど、またいつか機会があればお話したいと思います。
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