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「空間」の中に、A点から、B点へ移動する。
そこに「運動」という概念が生じます。
そうすると、A点から、B点へ移動するのに、「どのくらい時間がかかったか」、という、
「時間」の概念が、生まれてきます。
しかし、この「運動」というもの、
それは、あなた方の肉体から見た、現象面での、捉え方であることに、気がつくと思います。
つまり、三次元の世界でのみ成り立っている法則、とういことが、おわかりだと思います。
この、三次元の世界でしか、その概念は通用しない、ということを、
御理解していただきたいと思います。
「意識空間」に入ったとき、時間の感覚も、高速に感じたり、非常にスローに感じたり、
その感じ方は、意識次第である、ということもわかってきます。
「時間の概念」も歪んでくるのです。
一定の間隔をおいた、時間のリズムをなしているわけではない、ということが、
わかってくるのです。そして、空間も歪み、時間も歪み、運動という概念も、
定かではなくなる。
時間と空間という概念が、如何に曖昧であるか、ということが、
おわかりいただけるのではないでしょうか。
この法則は、この「現象界」のみにしか通用いたしません。
例えば、四次元意識とか、五次元、六次元、七次元、八次元、
そのような意識の次元になったとき、もうあなた方の概念は、通用しないのです。
あなた方の常識も、通用しなくなってきます。
多層に絡み合った、様々な意識に遭遇したとき、光のプリズムの中に、
あなた方が、突入したとき、あなたはどこに位置しているか、また、
どのような時間の中にいるのか、さっぱりわからなくなるのです。
「多次元多様体構造」をなす、「光のフラクタル」の中に、意識をゆだねたとき、
あなたが今、どこにいるのか、どこへいったらいいのか、
全くすべてを、見失ってしまうのです。
「時間」と「空間」の概念に、囚われている人々は、
これから、アセンションの時期に入ったとき、自分を、自分の魂、あるいは意識を、
操縦できなくなってしまうのです。
すべてが、三次元の法則で通用する、と思ってはいけないのです。
二元論の世界にも、同じことがあてはめられます。
あなた方の常識が、通用しなくなるのです。
高次元の「意識空間」は、そのような、多面体構造をもっているのです。
三次元の常識は、全くといっていい程、通用しなくなってしまうのです。
肉体を持たぬがゆえに、「時間軸」として、ものごとを捉えたとしても、
過去と、現在と、未来、すべてが、同時存在し、どちらが過去であるか、
未来であるか、さっぱり分からなくなってしまうのです。未来であるようで、
それが過去であったり、過去のことのように見えても、それが未来であったり。
現在の位置を、確認できたとしても、その中に、いろいろな人の人生があり、
意識があり、歴史があり、何が何だか、識別ができなくなってしまうのです。
そして、自分自身のポジションが薄くなり、他と同化することも、
可能になってくるのです。それに、他の情報を、交換し合うことも、
簡単にできるようになるのです。人の意識に、そのまま合体することも可能ですし、
あなたが動物や、植物や、石になりきることも、簡単にできてしまうのです。
イルカの中に同化し、イルカになりきって、イルカと戯れることも、
容易くできるようになるのです。
自分が、風になりたければ、風になれるし、花になりたければ、花にもなれる、
こうなりたいと思ったら、そうなれる。それが、ひとつひとつの扉を開くように、
次から、次へと、いろんな世界へ、いろんな意識空間へ、旅をしていくのです。
ここには「時間の法則」も、「空間の法則」も成り立たないのです。
ただこの中にあるのは、エネルギーが作り出す、「光のフラクタルパターン」、
これだけが基準となります。
そこに、その中に、「何が真実であり、何が偽物であるか」、
見抜く力を養っていないといけないのです。
真実を見抜く目、それは、皆さまの意識の奥深くにある、「光を求める心」。
それが、「希望と光」となって、あなたが意識空間で、彷徨わないようにしてくれるのです。
このためには、今生きているこの時に、「真実の愛」と、「希望」と、
そして、「光」を持ち続けることなのです。
それができてないと、光のアセンション期に突入したとき、方向を見誤ってしまうのです。
意識空間は、あなた方の想像を、絶する空間なのです。
既成概念を、捨ててください。
それができなければ、意識空間への旅立ちは無理、といってもいいのです。
真実は、その中にあるのです。意識空間を旅すれば、旅するほど、
操縦になれてきます。その操縦の方法を、今から、身につけておいていただきたいのです。
唯一、あなた方が意識空間に入れるのは、「瞑想」の瞬間だけです。
できるだけ、「瞑想」の習慣を、それも正しい「瞑想」の習慣を、身につけられ、
意識空間へ飛び立ったとき、空間の操縦が、楽にできるように、
鍛錬しておいてほしいと思うのです。
銀河のフォトンが、あなたがたのDNAを変性させ、別次元の空間に、
突入せざるを得ないときが、くるでしょう。そのとき、道を見失わないように、
光を、愛を、希望を、いつも心に抱きながら、突き進んでいってほしいのです。
それ以外に、現在のところ、アセンションをサポートするものはないのです。
「自分の意識を、操縦する」。この鍛錬は、きっとその時に、役に立つでしょう。
人によっては、妖精界のような世界に帰る人もあるでしょう。
人によっては、神界のような世界に、入るでしょう。また、人によっては、
自然と一体となった自分がいる、そのような空間に入るでしょう。
意識の操縦に、間違いがあったら、地獄のような世界をみるかもしれません。
周りには、ドロドロとした化け物や、ハ虫類がうごめく…、
そんな空間を彷徨うかもしれません。
また、迷路のような、パズルのような世界に、入り込むかもしれません。
人それぞれ、千差万別なのです。意識空間とはそのようなものなのです。
人が千人いれば、千人の意識空間がある。ということは、
すべての意識空間は、真実でもあります。
なにも否定されるものはないのです。あるがゆえに、否定はできないのです。
意識空間とは、そのようなものです。常に空間は創られ、また、忘れられば消える。
そこには、エネルギーの、「強さ」、「密度」ただそれだけです。
人々がその空間に、強く意識を向ければ向けるほど、
意識空間のエネルギーは、強くなっていきます。人の関心が薄れれば、薄れるほど、
空間はぼやけてきます。すべて、エネルギーの粗密の世界なのです。
どの世界に行きたいかは、それぞれの自由です。固定された強い意識空間が好きな人は、
やはり、パワーの強いところに惹かれてゆくでしょう。それもあなたがそうすること。
誰もが、咎められる話ではないのです。
誰の責任でもなく、自分がそうしてゆくのです。意識空間とはそのようなものです。
あなたが望みたい、望んだところに行く。
気づいたらまた別の場所に行く。違っていたと思ったらまた、別の真実に気づくのです。
しかし、そこにあるものすべてが真実。何も否定できるものはないのです。
「有りて有るもの」、すべてが真実なのです。
「時間」と「空間」というのは、
三次元の肉体を持つ、人の意識が作った、限定され、た空間にすぎないのです。
肉体を外れた「意識空間」では、その三次元的な「時間」と「空間」の法則は、
成り立たないことを、ここに明らかにいたしたいと思います。
いち早く、「時間」と「空間」の既成概念から、脱出をされることを、切に願います。
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